【上司はどのようにして部下に接するべきか】「言葉は明確であっても不明確であっても部下を混乱させる」ここにこれから書く事は、あくまでも若者批判ではなく、
「上司から見た若者の問題点、そしてその対処方法」
を上司側の目線から書いただけの物である。
それ故に、若者や部下側から見るとややもすると
批判的に見えるかも知れないが、あくまでも「上司側」
の言い分を拾っているという事を念頭に置いて
皆さんには読んで欲しいと思います。
以後、若者側や部下側から見た上司の問題点なども
書いていく予定ですから、そういう事で若い皆さんは
どうぞご容赦して下さい。
さて、最近では「仕事が出来ない若者が多い」という声も
上司を務める諸氏からはよく聞く昨今であり、
「どのようにして若手を指導したらいいのか分らない」と
頭を抱える諸氏も多いと思います。
まず、今の若い社会人の人達の、
上司から見た時の仕事の出来ない大きな理由は
いくつかありますが、その中のひとつの大きな問題として
「絶対的な国語力の低下」が挙げられると思います。
今の若い人達の国語力の無さは、
一般的にはもはや壊滅的であり、
上司側の意図した事が伝わらなかったり、
コミュニケーションが成立しないのが殆どです。
勿論、中には国語力も含めて優秀な人も
それなりに居るには居ますが、
一般的な平均国語力は間違いなく低下していると思います。
まず、仕事を覚えるに際して「常識で物事を考えろ」
そういう上司の方々も多数居ますが、これはいけません。
「常識」とは時代によって変わる物でもあり、
人の主観によっても微妙に多少づつ、変わってしまう物です。
そして各業界によってその常識は違いますし、
同じ業界でも会社が違えば、またそれも変わってきます。
ですから、仕事の指示という物は、
「わかりやすく、出来るだけ具体的に、
誰がそれを見ても聞いても、
決して間違えたり、勘違いすることの無いように」
丁寧に指示を出さなければいけません。
そのようにして「丁寧に、親切に」
まずは仕事を教えていくのです。
そして、ここからが問題です。
ここからが前述の国語力と関係してくるのですが、
そうは言っても、懇切丁寧に仕事を教えるのは、
当然、新入社間もない頃、つまり初心者のうちだけです。
これは当たり前の話です。
いつまでも全てを懇切丁寧に教えて、
細かく指示を出し続ける訳にはいきません。
いずれその教えられたことを覚え、自分の頭で考え、
自立して仕事を主体的に行うように
なっていってもらわなければ困りますし、
そうでないと社会人とは言えません。
与えられた指示だけをこなしているようでは、
アルバイトと何ら変わりがありません。
その中で、自立に向けての第一歩として
「注意、叱責」という事が上司から行われていきますよね。
その時に国語力が露呈します。
一度教えた事がきちんと出来なかったり、
あるいは何度も同じ失敗を繰り返していたら
当然注意や叱責を受ける訳ですが、
その叱責に耐えられない、怒られ慣れていない若者が
多過ぎて、すぐにメンタルがやられてしまう人も多いのですが
今回は国語力にポイントを絞っていますので
その部分については割愛して、後日またお話します。
さて、その叱責や注意をして
指示や仕事内容を再び理解させるのに
基本的には部下の若者の側は
「叱責の中の長文的文言の中から、
必要な情報を抜き出して理解する国語力は
まずないと思った方が良い」と、上司の側は認識していなくてはなりません。
出来るだけ短い、多少の注意や叱責の後に
(これが一番部下のメンタルを傷付けないので、
後々に響かない)
注意点や改善するべき点を箇条書きにして渡すべきです。
勿論印刷物でも構いません。
・・・と、ここまでは誰もが言っていますし、
どのビジネス指南書にも書いてありますが、
僕はこの先のぶっちゃけた真実を
皆さんに書いてしまいます。
ところが、今の壊滅的な国語力しかない若い部下たちには
この後も問題が発生してきます。
今の国語のテストなどは、受験も含めてマークシート型が多く
記述式はほとんどありません。
最近ではゆとり教育も終わり、
また記述式も増えつつありますが、
今現在、若手として働いてる世代は
殆どマークシート式のテストで育ち、また、
長文読解の勉強や読書感想文を書かされることなども、
上司世代に比べて
著しく減った環境の中で育った世代です。
つまり、「〜はどの部分を指しているのか」や、
「〜は話の中の誰の気持ちを、どのように表しているか」
などを考える力が絶対的に欠けています。
なので、その注意や叱責を受けた事柄が、
何に対して適用される事案なのかを、
読み取ることが出来ない人がとても多いのです。
僕の部下にもこの様な者が実際に居ますが、
例えば「現場で分らない事があったら、
勝手に自分の考えで行動せずに
全て上司や先輩の指示のみで動け。
危険回避の為に、そこでは一切自分の考えを挟むな」
と上司が言ったとします。
この場合は国語的に考えても
「現場で分からない事があった」場合に、つまり「現場」と
条件が限定されており、またそれは「危険回避の為」と、
明確に理由も説明されています。しかし、国語力の無い人は
その後の全てにおいて指示待ちになり、
自分の頭で考える事をしなくなります。
そして上司から
「何故そんな事も自分で考えられないんだ?」
と聞かれると、「だってそれは以前に部長から
自分の考えを挟まずに上司や先輩に指示のみで動け」
と言われましたから、と言い始めます。
こういう人達は、完全に文章の中の「条件と場合」、
「理由」を読み取れていないのです。
また、「お客さんに怒られたら、決して言い訳はせず、
とにかくまず謝る事だけに専念しろ」と言われた場合には
その後どんな場面でもとにかくひたすら、
形だけで謝り倒すようになり、
「なんでただ形だけひたすら謝ってる?
理由や原因の考察はしてるのか?」
と、聞かれた際には
「とにかく謝るだけにしろ」と言われましたから、
と言い放ってしまいます。これは上司の側から見たら
誠意の無い、反省のまったく無い、
形だけの謝罪にしか見えません。
また、相手が「お客様限定の話」という事も理解せず、
それが「仕事としては顧客第一」という仕事の理念も
理解していません。何故ならば彼らの言い分は
「顧客第一」とか、そういう事はその時言われてないから
分らないです。ちゃんと教えて下さい。
と、なってしまうのです。
つまり、どのように懇切丁寧に指導しても、
指導の内容を理解する日本語読解力を
擁していない者に対しては
正直言って、何を言っても
いくら一生懸命何を教えても、
ハッキリ言うと無駄なんです!!
だから、どうしたらいいかと言う正解は
何もしない、何も教えない、
そして何も言わない事なんです!!こう言ってしまうと
暴論のように聞こえてしまうかも知れませんが、
これには明確な理由があります。
彼らは、ある叱責や注意点を、
どの場面に適用するのかわからないまま
それが頭に残ってしまい、
とんでもない場面に適用するので
頭に残ってしまわないように、何も言葉として言わない、
文字にも残さない方がいい、という事なんです。
失敗は自分で困らせ、自分で考えさせる、
そして自分で解決するような「環境づくり」
をするのが、今の時代の上司の仕事です。
そして、壊滅的なミスにつながる事はやらせない、
これしかないのです。
結局、ある程度の初心者時代を過ぎて、
習う事を習い終えたら
指示によってもたらされた成功体験は、
その人の自信を付ける事には、殆ど繋がりません。
失敗も成功も自分でさせるようにして、
何かの時の尻拭いをする覚悟をする、腹を決めるのが
上司のあるべき姿なのです。
信用し過ぎてはなりません。
これは相手を人間として信頼しないという意味ではなく、
「若手は仕事では必ず大きな失敗を繰り返すものだ」という
当たり前の事を大前提にして、寛容と忍耐力を持ち、
成長を待つ、ということをするのが上司に求められる
資質と必要条件なのだと僕は思います。
そして、そのようにしている上司の側の姿勢や背中を見て
変われる人、育っていく人は必ずそうなりますし、
残念ながら出来るようにならない人は、
いつまで経っても出来るようにはなりません。
そうした「出来ない人」は自然と居なくなっていくしかない、
それも社会の現実です。それが社会人です。
それが社会でお給料を貰って
生活をしていくという事なのです。
会社や仕事場は学校ではありません。
能力によって自然淘汰されていくのも
仕方ない部分があるのも、目を背けられない現実です。
そうでないと、一生懸命やっている人や
変わっていけてる人、成長できている人がバカを見て
今度は出来る方の側が我慢を強いられて
バカバカしくなっていってしまいます。
その限界まで「寛容と忍耐」を周りが見せるというのは、
信頼しないのではなく
「仕事が出来るで出来ないの部分では
まだ信頼できないけど、人間としては
仲間なんだから信頼するよ」という事なんです。それを見せる、
それが今回僕が皆さんに提唱する
「上司の部下への接し方」なのです。
上司の皆さん、部下の成長を心から願って、
今後も共に頑張って行きましょう!!